イタリアンプログレの大御所「アレア(AREA)」のパトリツィオ・ファリゼッリ氏、初公開独占インタビュー!〜アレアと政治思想の関係〜

 イタリアン・プログレの音楽的側面とは別のもう一つの顔として、バンドが政治思想と結びついたということがある。ここでは、イタリアン・プログレ(ジャズロック)バンド「アレア」の例を取り上げてみたい。アレアは「インターナショナル・ポピュラー・グループ」を標榜し、1972年頃から活動を開始した。主要なメンバーは、ボーカル兼オルガンのデメトリオ・ストラトス、ギターのパオロ・トファーニ、キーボードのパトリツィオ・ファリゼッリ、ドラムのジュリオ・カピオッツォ、サックスのヴィクトル・ブズネッロである。超絶技巧のジャズロックから、フリーインプロヴィゼーションまでを得意とするグループである。このグループは一時左翼思想と共鳴し、共産党の党大会で演奏したり、ライブの定番曲としてプロレタリアートの賛歌である「インターナショナル」を組み込んだりしていた。「インターナショナル」のライブ音源などは数多く残っているが、(→ https://youtu.be/mCR0RcfPT2s )当時の詳細に関してはあまり資料やインタビューが残っておらず、不明な点が多い。

そこで今回、私が個人的にSNSを通じて知っていたこともあり、アレアの中心メンバーであるパトリツィオ・ファリゼッリ氏に直接文書でインタビューを取ることが出来た。尚、このインタビューの内容のほとんどは私の知る限り世界初公開の内容であり、イタリアン・プログレの歴史の中で語られてこなかった事実として大変貴重なものとなった。以下、インタビュー全文を和訳と共に掲載する。(翻訳は三角縁神獣鏡による。)

 

三角縁神獣鏡 「Nel primo, perché AREA si è impegnata al comunismo? È stata l'influenza del Maggio francese? In secondo luogo, in quel momento, come hanno risposto i giovani audience quando AREA ha suonato "l'internazionale"?

(初めに、どうしてアレアは共産主義に傾倒したのでしょうか?それはパリ五月革命の影響だったのでしょうか?二つ目に、当時アレアが「インターナショナル」を演奏した時、観客の若者たちの反応はどのようなものだったのでしょうか?)」

 

 

ファリゼッリ氏 「Negli anni 70, in Italia, la sensibilità tra i giovani per le questioni sociali era molto forte e noi non facevamo eccezione.
Sicuramente il maggio francese fu importante per questo interesse, ma anche raduni musicali come Woodstock o l’Isola di Wight influenzarono l’immaginario di una generazione.
Però, quella che nel resto del mondo fu una semplice rivolta generazionale, in Italia, in Germania e in Francia prese il colore rosso del socialismo, del comunismo ma anche dell’anarchia situazionista.
Per circa un decennio il “Movement” fu molto forte e attivo e Area decise da subito di schierarsi apertamente in suo favore. Partecipammo dunque a tutte le iniziative più importanti cercando di diffondere un pensiero critico, socialista e libertario.
Quando incidemmo "l'internazionale", l’inno dei lavoratori, lo facemmo per uno scopo militante, cioè per raccogliere fondi per pagare le spese processuali di un anarchico imprigionato ingiustamente. Il nostro pubblico reagì in modo meraviglioso e il pezzo fu subito un grande successo, non solo in Italia, ma anche in Portogallo, dopo che la “Rivoluzione dei garofani” rovesciò il regime fascista di Salazar.

(1970年代のイタリアでは、社会問題への関心がとても強く、それは僕らも例外では無かった。もちろん、パリ五月革命は、この関心をそそるものとしては重要だったけど、それだけでなく、ウッドストックやワイト島のような音楽フェスティバルがその世代のイマジネーションに影響を与えたんだ。でもそれ以外の所では、単に時代的なものとして暴動が起こっていた。イタリアでも、ドイツでも、フランスでも、それは社会主義共産主義、そして状況による無政府主義として「アカ」を掲げた。約10年の間に、「運動」はとても強くなって、活発になっていった。そこでアレアは、それを公に支持することに決めたんだ。だから僕らは、社会主義者リバタリアンの批判的な思考を広めようと、最も重要な全てのイニシアティブに加わった。僕らが、プロレタリアートの賛歌である「インターナショナル」を録音したというのも、不当に投獄されたアナーキストの裁判費用を募る、という目的を達成する為だった。僕らの観客は素晴らしい反応を示してくれたし、その一部は大きな成功を収めた。それはイタリアだけでのことではなくて、カーネーション革命直後のポルトガルで、サラザール率いるファシスト政権を転覆させたんだ。)」

 

 

ファリゼッリ氏へのインタビューから、(政治思想とは別にして)当時の社会全体の状況の中で何らかの行動を取るような必要性があったという事が読み取れる。実際、このインタビューの中で語られたことからは、左翼思想を標榜しようという意思よりも、現在でいうところの「人権運動」に近い印象を受けるし、ウッドストックやワイト島フェスティバルのようなチャリティーフェスティバルと同じように、音楽の力を信じて行動しようというバンドとしての強い決心を感じる。驚くべき事実は、イタリアのバンドがポルトガルサラザール政権崩壊と深い関わりを持っていたことである。ゴダールの映画が大きな影響を与えたパリ五月革命はヨーロッパ各地に飛び火したが、イタリアの場合もまた、イタリアン・プログレはじめ音楽などの文化的要素が自国の改革、ひいてはポルトガルの政権転覆にまで影響を与えていたのだ。

 

 

 

アレアについてはまた追って紹介していきます…!今日はここまで!

 

 

自由への叫び(紙ジャケット仕様)

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